ホーム>Ai設計室ブログ>2015年11月

成巽閣(兼六園)飛鶴庭

【成巽閣(せいそんかく)飛鶴庭(ひかくてい)】(兼六園のすぐ横)

成巽閣の建物内は撮影禁止なのですが、お庭はOK。
清香書院から「飛鶴庭」を眺めた所です。

P1000769111

庭園は一面苔で覆われていて、辰巳用水からの分流が遣水として緩く流れていて、
また明日ご紹介する清香軒の土縁(どえん)に続いています。
この曲水を中心として要所に捨て石、手水鉢(ちょうずばち)、灯籠、樹木があり、
大きな飛石が印象的です。
写真右下にはあるのは、六地蔵の手水鉢です。(お地蔵さんが掘られている)
丁度写真は切れてしまったのですが、石に沿って向こう岸に渡った所にも六地蔵が
彫られた石灯籠があり、飛鶴庭に統一性を持たせています。
ちなみに手水鉢は、江戸時代の金工として著名な後藤程乗作だそうです。

150年前、真龍院さまも縁側に座って、手水鉢やお庭を眺めてらっしゃったんだと
思うと、感慨深いものがあります。

苔の緑と紅葉の赤、ゆるく水が流れ、また大きな石が絶妙のバランスで配置されていて

何とも素敵なお庭でした。

2015.11.27

 帰り際にポチッとしてもらえると励みになります!
名古屋の建築家はAi設計*山内智恵

1127:クロス貼り始まる

【コンパクトマンションリフォーム】

職人さんと入れ違いでなかなか会えず・・・

今日はいよいよクロス貼りが始まっていました

P1010105


 帰り際にポチッとしてもらえると励みになります!
名古屋の建築家はAi設計*山内智恵

1126:成巽閣(兼六園)

【成巽閣(せいそんかく)】

成巽閣の「赤門」をくぐると、長い石畳が続きます。

111P1000777

成巽閣は、1863年に造営されたころ、「巽御殿」と呼ばれていたのは、
金沢城からみて東南の方向、巽に在る為、そのように名付けられたそうです。

111P1000763


 帰り際にポチッとしてもらえると励みになります!
名古屋の建築家はAi設計*山内智恵

1125:成巽閣(兼六園)赤門

【成巽閣(せいそんかく)赤門】(兼六園のすぐ横)

P1000762

兼六園を西に向かって歩いていくと、長ーい塀が見えてきます。
しばらくすると、朱塗りの入口が見えてきて、これが「成巽閣」の赤門です。
ここが正門のように見えますが、元々は、兼六園や金沢城への通用門だったそうです。

成巽閣は、13代加賀藩主斉泰が、父である12代藩主斉広の正室・真龍院のために
つくった隠居所で、当時は巽(たつみ)新殿と呼ばれていて、明治7年(1874)に兼六園が
一般開放されたとき、「成巽閣」となったそうです。

明治以降、一部の撤去や改修があったものの、主な建物と庭園は造営当時のままだそうです。
昭和25年(1950)に国の重要文化財に指定。

とりあえず、今日は赤門まで。


 

 帰り際にポチッとしてもらえると励みになります!
名古屋の建築家はAi設計*山内智恵

1124:兼六園(鶺鴒島)

【兼六園(鶺鴒島(せきれいじま)】
 

こちらは、鳥居と塔のようなものが印象的な場所です。

この石の配置には意味があって、イザナミノミコトとイザナギノミコトが
男女和合の方法を鶺鴒から教わったという故事になぞえらた島名なんだそうです。

別名「夫婦島」。

東南に向かって高さ約3mの明神鳥居があり、「三社」と書かれた石額がかかっています。
鳥居の左横に二つの石が見えると思いますが、女性を表す陰石と男性のシンボルを象った陽石の一対
「陰陽石」なんだそうです。
石の後ろには右に雌松、左に雄松の「相生の松」、島の右端に五重の石塔があり、
陰陽石は誕生、相生の松は結婚、五重の石塔は死を意味していて、
人生の三大儀式を表現したものなんだそうです。

P1000758


何だかこの場所は空気が重かったです。(暗かったからでしょうか?)

 

 帰り際にポチッとしてもらえると励みになります!
名古屋の建築家はAi設計*山内智恵

1123:兼六園(内橋亭)

【兼六園(内橋亭】

こちらは、5代藩主・前田綱紀(つなのり)綱紀が蓮池(れんち)亭作庭の際に造られた
4亭のひとつなんですが、宝暦9年(1759)の大火で、蓮池庭のほとんどが消失してしまい、
それを11代藩主・治脩(はるなが)が蓮池庭を復興した際に再建されたんだそうです。

写真の奥の方に、屋根が二重になっているのが見えると思うのですが、
この2つの屋形を橋でつなげていることから「内橋亭」というんだそうです。

P1000740

印象的な建物でした


 

 帰り際にポチッとしてもらえると励みになります!
名古屋の建築家はAi設計*山内智恵

1122:兼六園(徽軫灯籠)

【兼六園(徽軫(ことじ)灯籠】


ちょうどこのスポットで、みんなが写真を撮っていた。

1203P1000739

右下に見えるのが、「(徽軫(ことじ)灯籠」で、左上にみえるのが、
「唐崎松」です。

ちょっと写真が暗いですが、ことじ灯籠は2本脚の灯籠で、
水面を照らすための雪見灯籠が変化したものだそうです。


形が楽器の琴の糸を支え、音を調整する琴柱(ことじ)に
似ているため形が琴の琴柱(ことじ)に似ているので、
そんな名前が付いたんだそうです。

良く見ると、石の上に片脚を乗せてバランスを保っています。
(二股の脚は元々同じ長さでしたが、何かの原因で折れてしまったそうです)

晴れの日だったら、もっときれいに見えただろうに、
ちょっと残念

 帰り際にポチッとしてもらえると励みになります!
名古屋の建築家はAi設計*山内智恵

1121:春日井市で完成検査

今日は春日井市で、2階建て新築の完成検査でした。

リビングがとても開放的で、空がよく見えました

リビングからつながるお庭や、エントランスの外構が出来ると
また雰囲気ががらりと変わると思うので、
とても楽しみにしています

外構完成したら、また伺う予定をしています

 帰り際にポチッとしてもらえると励みになります!
名古屋の建築家はAi設計*山内智恵

1120:アイアン仮止め

アイアンが仮止めされていました

この透け感はなかなかいいんではないでしょうか

P1000959



 帰り際にポチッとしてもらえると励みになります!名古屋の建築家はAi設計*山内智恵

1119:兼六園(辰巳用水)

【兼六園(辰巳用水)】

「辰巳用水」は日本四大用水の一つで、
兼六園が造営される以前、寛永9年(1632)、
3代藩主前田利常が、金沢城の堀の水や防火用水として
小松の町人、「板屋兵四郎」に築造を命じたものなんだそうです。

201P1000754

たまたまこの池っぽい所に、「辰巳用水」と書かれていました。

兼六園の蓮池門から程近い位置に、地味な噴水があり、
その噴水は、どうも地形の高低差を利用して、自然の水圧で
あがっているらしい。

地味すぎて、写真を取り忘れる。
 

辰巳用水というのは、どうもすごい用水らしい。

01_p02
(すみません、ネットより画像をお借りしました・・・)

金沢城から10キロ離れた犀川上流から引かれていて、
いったん低い場所へ落ちた水を逆サイフォンの原理で城へ引きあげる仕組み。
用水の3分の1はトンネルであり、平均勾配が極めてゆるやかであることから難工事で
あったと思われるが、わずか1年足らずで完成させている。
造営当時は木管を使っていたが、江戸時代後期に石管に取り替えられた。

現在は、辰巳用水の途中で、地下に「兼六園専用管」を敷設し、そこから水を引いている。
板屋兵四郎は、この天才的偉業をわずか一年で成し遂げたと記録にある。


土木は建築とはスケールが違うし、色々な人の為になる偉業だと改めて思う。

ちなみに、日本四大用水に、愛知用水は入ってないようで・・・

※日本四大用水→
その難度や規模から、長野県の五郎兵衛新田用水(1630年)、金沢の辰巳用水(1632年)、江戸の玉川上水(1654年)、芦ノ湖から導水した箱根用水(1670年)とされる。明治維新以前の最大工事といわれた箱根用水のトンネルは約1.3km。辰巳用水のトンネル(約4km)がいかに長いかが分かる。
 

 帰り際にポチッとしてもらえると励みになります!
名古屋の建築家はAi設計*山内智恵